言葉は極めて単純な事実を伝えるためにならば役に立つ。
考え方、感じ方、状況などを伝えるためにいくら言葉を尽くしてもまるで伝わらないこともある。百人百様である。
同一の言葉を聞いても、人それぞれが生活経験に基づいたイメージを持っている。
生まれもった情だとかセンスも違う。その差は大きい。
話す人と、聞く人では受け取り方がまるで違うことも起きうる。
文章の場合も書いた人と読む人とでは受け取り方、感じ方が著しく異なる。いくら言葉を尽くしても言葉の隙間は埋まらない。
まして素人の文章ではさらに受け取り方に差が大きい。
考え方、感じ方、現実の世界の状況、歴史はアナログであり、言葉は現実の部分部分を切り取って抽象したもので、デジタルである。
デジタルな言葉でアナログな世界を尽くすことは不可能である。
言葉はコミュニケーションという観点ではその程度のものである。
しかし、部分を切り取ってあれこれ言っても隙間は埋まらない。
むしろ、言葉は、経験したことが脳に記憶されたイメージにつけられたラベルだと考える。イメージの抽象である。
頭の中のたくさんのイメージをラベルを使って操作して思考し、新しい考えが生まれる。
言葉は「思考のための有力な手段」と考える方が当たっている。
同じ言葉でもその先にくっついている"感情や情を伴ったイメージ"は人によってまるで違うという前提に立った方が無理がない。
同じ言葉は同じイメージを伝達すると考えるのは大きな誤解である。
「話せばわかる」というのは楽観的すぎると思うようになった。言葉とはその程度のものである。
デジタルな理屈よりもアナログに「以心伝心」の方が確かである。