日本人どうしでは事細かに言葉にして言わなくても、一言で気持が伝わる特性があった。
海外に出ると自分の気持はきちんと言わなければ伝わらないと言われてきた。
しかし、気持はアナログなものであって、デジタルな言葉で伝えることは不可能である。最終的には以心伝心になる。
この「察する力」というのは民族に遺伝的に備わった特性なのか、長年積み重ねてきた文化的なものなのか。
最近は、日本人もこの「察する力」が弱ってきたのではないかという気がする。
会話や、行動において、相手が気分を害していることに気がつかない。
相手が気分を害していることはわかるが、なぜなのかがわからない。自分が何かまずいことを言ったに違いないと気づかない。
普通は、一瞬一瞬相手の気持を感じ取りながらコミュニケーションを深めていく。
相手の気づきの悪さに気分を害することも多い。これは言葉にすれば気まずくなる。
言葉にしなくても以心伝心で気持が相互に伝わるのがコミュニケーション能力である。
現代ではこのコミュニケーション能力の低下が進んだのではないか。
中身のない言葉が飛び交い、その場は盛り上がってもコミュニケーションが全くなければストレスばかりがたまる。
そこにあるのは、心あたたかい雰囲気とは程遠い虚しさである。
正しいとか間違いだとか理屈ばかり言っていたのではコミュニケーションとは程遠い。