日本が漢字を廃止しない驚愕の理由
2019年 09月 25日
漢字ばかりじゃ日本独自の文化は生まれなかったはずだ。
それを漢字を捨てて、仮名ばかりにするとか、漢字も仮名も捨てて、ローマ字表記にするとか、そんなことをすれば、数世代のうちにはこれまでに蓄積された日本文化は全て埋もれてしまう。
韓国語でいえば漢字交じりのハングル文がそれに相当する。
思考力を喪失しないためには表意文字である漢字の役割は大きい。
1945年敗戦して、アメリカ教育使節団は、日本人の思考力を奪うために、全てローマ字に変えさせることを考えていた。
しかし、教育使節団はローマ字化の考えを撤回した。
それは、当時の文部大臣がローマ字化を撤回させるだけのしっかりした哲学をもっていたからである。
敗戦国とは言っても決して譲れないところは守り通したということである。それだけの人物がこの日本には健在だったということだ。
日本は中国の隋には遣隋使、唐には遣唐使を派遣して、中国には多くのものを学びに赴いた。
日清戦争があったり、色々歴史上あったとしても、いいものはいいものとして取り込み、日本独自の文化を作り出してきた。
西洋の文化も然りである。いいものは全て取り込んできた。それが日本人である。
1世紀から3世紀にかけて日本には「奴国」があった。福岡市志賀島から「漢委奴國王」という純金製の金印が見つかった。
「王」というのは中国から見れば「皇帝」の下位の役職であり、奴国を属国と考えていたことになる。韓国ドラマでも「王様」という言葉が出るが、あれは中国の属国であることを意味する。中華思想からすれば他の国は全て属国扱いなのだ。
属国扱いに甘んじるかどうかはその国のプライドの問題である。
中国は日本を属国と思っていたらしいが、日本人は隋や唐に勉強させていただくために命がけで大陸に出かけていったが、中国の皇帝に朝貢に行ったわけではない。
日本は隋や唐と対等意識を持っていた。
聖徳太子は西暦607年に遣隋使小野妹子に隋の煬帝あての国書を持たせた。
その中の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつがな)きや」(日が昇る国の天子が日が沈む国の天子に手紙を送る。元気にしとるか。)
それで隋の煬帝は激怒した。
日本人には属国意識は微塵もなかった。
それは一貫していた。
日清戦争にしても、日露戦争にしても、太平洋戦争にしても、明治維新から日清戦争が28年後の1885年、日露戦争が37年後の1904年、太平洋戦争がなん年後ですか、
開国してわずか28年にして、常識的に考えても大国である清国と戦争できるわけがない。しかしなぜ日清戦争が起きたか。国力も十分でない日本が、好き好んで戦争したと思うか。
その止むに止まれぬ事情をもう少し勉強すべきである。原因は朝鮮半島にある。
それから、開国から37年後の1904年、誰が好んで世界最強と言われたロシアと戦争などしたいと思うか。しかもロシアのバルチック艦隊は当時世界最強の海軍を日本海で迎え撃って壊滅させたわけです。
この時は日本の国力の限界まで消耗し尽くしていた。人的犠牲はどれほどのものだったか。明治維新からわずか30年かそこらで、戦争などしたいわけがない。
その原因をよく勉強してみるべきだ。原因は強いものにくっつく癖のある朝鮮半島にある。
日本としては、朝鮮半島を清国やロシアに奪われることは次は日本が侵略の憂き目にあう。朝鮮半島から清国の支配を断ち切り、ロシアの侵攻を許すわけにはいかない。
かといって朝鮮国にはその力はない。日清戦争と日露戦争で日本が負けていたら今の北朝鮮も韓国も存在しなかったに違いない。
日本のこの目覚ましい近代化に恐れをなした欧米が資源のない日本を経済封鎖をした。つまり石油の輸送路を封鎖した。
日本にとっては死活問題である。太平洋戦争はそこから始まった。
全ての欧米諸国を敵に回して死闘の末戦争には負けた。
しかし、アジア、インドを植民地支配していた欧米勢力を全て駆逐した。
戦争には負けたが、これは明らかに日本の勝利だ。
欧米の植民地支配というのは現地住民は奴隷扱いであり、インフラ整備などするものか、搾取するだけ搾取した。植民地支配というのはそういうもの。
インドのマハトマ・ガンジーの独立運動は知っての通り。イギリスの植民地支配に苦しんでいた。
そういう世界の情勢を知っているから、東京裁判でインドのパール判事は日本に戦争責任「無罪」に投票した。
すぐに「歴史認識」「歴史認識」というが、どれほど歴史について考えたことがあるのか。
政府が作った教科書で勉強した程度で何がわかるというのか。
by Gonchan2019
| 2019-09-25 00:07
| 記憶遺産・日本文明
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