無用と思っていたことが思わぬところで役に立つ
2018年 01月 17日
http://kotowaza-allguide.com/mu/muyounoyou.html
日本の家庭でも学校でも必要以上にこまごまと理屈や知識を教え、雑多な情報が社会にあふれている。
しかし、本当に必要な社会常識や生活の知恵や人としての礼儀やマナー、人としての心は教えられていない。物事を深く考える機会を奪っている。
私は高校で物理を教えていました。しかし私は理科は文系の科目だ!とよく言っていました。別に物理を履修した生徒が将来物理学者になるわけじゃない。
本質的なことだけきちんと把握していれば十分で、自然観、世界観、人生観を広げるような勉強をすべきだ。
文系科目も理系科目もすべてそのような考え方で勉強すれば、ずいぶんと視野が広がるだろうにと思っていました。
最悪は、大学入学試験の試験勉強です。背に腹を替えられないから仕方がないとわかって、受験対策をしている生徒はいい。
物理を教えながら、こんな難しい大学入試問題を解くのが上手になればなるほど思考力が落ちて石頭になると思っていた。あれは解き方のパターンを学習しているだけです。思考力とはいい難い。
無用の用というけれど、本当に有害無益の無用なことばかり勉強しているというべきです。
歴史の年代と出来事などは一応勉強して大まかに全体の流れがわかっていればそれでいい。忘れても、それは本当に忘れたわけではない。その程度でいい。
歴史上の出来事の物語を覚えてどうしますか。面白いかもしれないが、そこに歴史的な意味を考えなくては意味がない。模範解答と答え合わせのできるような勉強をしても意味がない。
こういうのは「無用の無用」です。
無用に見えて、後々人生に大変な意味をもつ、「役に立つ」とは言っていません、「大変な意味をもつ」と表現する所に意味があります。
それは、試験に出るから勉強する、出ないから切り捨てるというような勉強では絶対に到達できない境地です。
範囲のきめられた試験勉強をしていても、その内容に引き込まれて、納得がいくまで考え、調べ続け、どんどんはまっていく、そういう勉強でなくては意味がない。
それで"試験範囲が勉強しきれなかった!"というくらいでなくては勉強の意味がない。
試験の点数に一喜一憂する必要はない。3年間終わってどこから出題されるかわからない全範囲の試験では実力を発揮する。それが学力というものだと思います。
他の多くの人がやっているのと同じことをしていて学力がつくはずがありません。自分独自の方法でやることが大切だ。それは教えて教えられるものではない。
その積み重ねがあってこそ、後になって「無用の用」の意味が分かってくると思う。一朝一夕で取り返すことはできない。
by Gonchan2019
| 2018-01-17 19:30
| 無用の用
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